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くるみクラブの歴史

歴史2

歴史2一九六四年(昭和三九年)の七月、一週間の合宿が北志賀で始まりました。

合宿中はスケジュールといっても実に単純なもので、食事前のランニング、午前中は勉強やミーティング、午後はラグビー、夜は豪華な星空のもとでの語らい、といったものでした。普段の生活と余り変わらないように思えるかも知れませんが、勉強や寝食をともにすることが合宿最大の目的なのですから、これで十分でした。

学生たちもわたくしも、高原のこの一週間の合宿を大いに満喫しました。初対面同士の学生もすぐに打ち解け、ラグビーだけでなく、心を開いて、人生、恋愛、大学で学ぶことの意義などを真剣に語り合い、最後の晩はキャンプファイヤーで締めくくりました。本当に感激と充実感にみちた一週間でした。

合宿を終了し、車中、窓の外が夜になったのも気がつかぬほど語り合いに夢中になって上野駅に帰ってきました。改札を出たところの、あの天井の高い中央コンコースが解散場所でした。その時、誰からともなく「オ、校歌やろう!」「ウンそうだ」と肩を組んで学生たちが中央大学の校歌を歌い始めたのです。(中略)
コンコースに響く中大校歌の歌声とエールは、わたくしに心の深い所から一つの決意をさせました。「この学生たちにもっと素晴しいものを与えてやろう。この学生たちのラグビークラブをつくろう」と。

学年末になって、わたくしは、「クラブチームを作ってラグビーを続けないか」と学生たちに呼びかけて見ることにしました。しかし、わたくしの呼びかけより前に学生たちの間で、すでにその声が上がっていました。「このままラグビーから離れるのは淋しい気がする」「授業だけの一年で終わるのは残念だ」「もっと続けようじゃないか」との声に、すでにその組織作りが始まっていました。一年間ラグビーの授業をやって、夏合宿までやったわけですから、そのまま終わりにするにはもったいない話だったわけです。合宿に参加した学生や、以前わたくしの授業を取っていたり、噂を聞きつけた学生が三十人も集まったのです。

こうして、一九六五年(昭和四十年)春、三十人が中心となって、ラグビーのクラブチームが歴史的第一歩を踏み出しました。

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